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逃げ道

2015.10.07 (水)

こんばんは。森岡です。

みなさんは得意不得意がありますか?

僕は例えばスポーツではサッカーと水泳が不得意です。

だから学生の頃、サッカーをするときはできるだけひっそりとしていたし、体育の授業の水泳では先生が付きっきりで平泳ぎの練習をみんなとは別のメニューで教えてくれてました。

当時は、男の子のプライドからか、「ちょっとかっこ悪いな…」とか「恥ずかしいな…」という思いはありましたが、それがいい意味での『逃げ道』になってましたし、自分のできる段階で身動きをとれたことは今思えばよかったのではないかと思います。

『逃げ道』

一見マイナスの言葉と思うかもしれませんが、これは誰にでも時には必要なことだと思うんです。そして逃げること、また他人に対して逃げ道を教えてあげることは人間の権利の1つであってよいのではないかと思います。

スポーツや遊びの中では得手不得手に応じてハンデがあったり、参加そのものを選択できたりもしますよね。

でもなぜか勉強―特に学校の宿題に関してはそうはいかないようです。

勉強が得意な子も不得意な子も一律同じ宿題(もちろんそうでない場合もありますが)なんですよねー。

しかも僕らが学生の頃よりも提出率や宿題そのものの内容に関してより厳しくなっています。

子どもたちの宿題を細かくチェックすることはとても大変なことで頭が下がる思いです。それに与えられた宿題を期限までに終わらすという訓練は社会人になるために必要なことだと思います。

だから宿題は出すべきだと思います。…でもね、ハンデがあってもいいんじゃないかなと思うんです。

1次方程式ができない子が連立方程式の文章題、しかも割合の複雑な問題を宿題に出される…

英語の単語が書けない子が、50字以上の自由英作の宿題をする…

水泳で言えば10m泳げない子に100m泳ぐ課題が出たようなもんじゃないかな?

できる子にはできる子の、できない子にはできない子の、それぞれの力に見合った宿題があったらいいのにな…